昔は良かった…
昔は良かったねといつも口にしながら生きていくのは本当にいやだから~

冒頭に持ってきました。
槙原敬之氏の「どんなときも。」の歌詞です。

まあ、いつも口にしてないしね。たまに思うのは良いというのが私のスタンスです。

素朴だった時代。長閑だった時代のお話。

もう40年近く前になりますかね。幼い日のおぼろげな記憶。
正月に親戚同士が集まってテレビを観ていました。たしか、テレビ東京。昔は東京12チャンネル。どこかのホールで漫才コンビが順番にステージに登場するという番組だったんですが、画像に乱れが生じたかと思ったら、たしかそのまま固まってしまいました。

見たことも聞いたこともないような中年の漫才師が何組も登場してきて、教科書みたいな漫才を展開する。その連続の中、画面は固まりました。

ご迷惑をお掛けしております、しばらくお待ちください、という類のテロップが出るまで何分も掛かったと思いますし、テロップが出てからもたしか何十分単位でそのままだったと思います。
私の周囲にいた大人たちは「正月だからね。責任者が休みでいないんだよ」などと言って笑っていました。

何十分か後に映像は動きました。でも、固まった漫才師ではなく、新たな漫才コンビが喋っていました。生放送だったということでしょう。番組はほどなくして、そのまま終了。
結構な衝撃の記憶だったのですが、当時としては、それほど珍しくなかったんだろうな~。

今だったら、すごいことになっていたでしょうね。匿名掲示板やSNSは炎上し、不謹慎極まりないという類の書き込みに溢れていたことでしょう。

カメラトラブルというだけに過ぎないんですけどね。

長閑といえば、こんな話も思い出しました。

小学校5、6年生の頃、鉄道ファンになりましてね。今も健在ですが「鉄道ファン」という雑誌と時刻表ばかり読んで全国の旅を夢想し、地元の駅に電車の写真を撮りにも良く行っていました。

昔は貨物列車の最後尾に車掌車というのが付いていたんですが、憶えてらっしゃいますか?

ある日のこと。
貨物列車が駅に停まっていて眺めていたとき、車掌車から人が降りてきて、立ち小〇してるんですね。車掌車にトイレがついたのは、1974年製造のヨ8000形という車両からだそうで、人によって対処は色々だったんでしょうが、その車掌さんらしき人物は特に隠れる様子もなく、普通にやってました。

たしか土曜日の昼下がりで、その長閑な風景に魅了されてしまった私は「将来、あの人になろう」と思ったものでした。…まあ、鉄道への熱が冷めたのと同時に忘れ去ったわけですが…。
わけのわからない家、わけのわからない人、謎の建物、放置されたトラブル、そういうのが山のようにあって、長閑な時間とともに回っていた気がします。
こうした長閑な時代には、情報が少なかったせいか、日本の様々な風習が今より生きていたように思いますね。
夜に爪を切ったら親の死に目に会えないとか、

葬式を見たら親指を隠すとか、

そうした、今ではほとんど聞かなくなったことが色々ありました。
七草粥とか十五夜とか旧正月とかお彼岸のおはぎとか、そして風水にも大いに関係ある干支とか、そうしたものの意味も老人達は身近なこととして理解していたように思います。

六曜(大安や仏滅)や家相のような迷信もたくさん混じっていたのでしょうが、宇宙の運行、天体の運行があって季節が生じ、毎年同じような気温、湿度で迎えるその日に大いなる法則を感じ、その法に則って生活することが日々の安寧に繋がるということを肌で知っていたということだと思うんですよね。
人間は一人で生きていくことはできません。

全ての物事に陰陽がある、という観点からしたら、身近な人の助けが陽であり、目にみえない法則の助けを借りるのが陰ということでしょう。
長閑でない現代は、たぶん、陰陽のバランスが悪いんだな。ある出来事に関し、陽だけが突出しているかと思ったら、別の出来事では陰だけが突出している。情報ばかり取り込んで消化できずにいるから、自意識だけが過剰になってしまいがちなんですね。

針小棒大、「カメラトラブル」というだけに過ぎないんですけどね。