あ~最高にツボだった。
作品のことは以前から知ってはいました。数ヵ月前だったかテレビの地上波放映したことも。米林宏昌監督による前作「借りぐらしのアリエッティ」もツボだったし。
映画はたけしとかレオス・カラックスとかヴィンチェンゾ・ナタリとかソフィア・コッポラとかが好きなんですよ。静かな淡々とした感じの部分が。
思い出のマーニー…きっかけはゴールデンウィーク中にレンタル屋さんに行ったとき、5本ほどあった作品が全部貸し出し中で、次にそのレンタル屋さんに行ったときに1本あったからなんですね。
地上波放映したあとに、レンタル屋で暫く品薄状態が続く…この現象は(私が書くまでもありませんが)、劇場公開時ヒット作でないほど傑作の可能性が高いです。
「思い出のマーニー」に感動した人はみなさんそうだと思うのですが、頭の中でギターの名曲「アルハンブラの思い出」が回っています。
【以下ネタバレあります】
12歳の主人公・杏奈と出会ったマーニーは少女時代の祖母であり、時を隔てても「お屋敷」を軸に交流することが出来ました。
幽霊なのか妄想なのか…なんだか良くわからない、夢の中にいるようなほわ~んとした雰囲気の中で2人は”秘密の交流”をします。
杏奈はのちに自身の口から妄想と語りますが、祖母が亡くなる5歳までのおぼろげな記憶を土台に、しかし圧倒的な臨場感を得ることで幻の少女マーニーに命の灯火が吹き込まれ、生き生きとした物語が展開されることになります。こういうのは幽霊を観る、もっというと幽霊と交流したという人と同じだな。幽霊の本場・イギリスが原作だし。米林監督は脳機能学に詳しいとみた。
潜在意識の記憶力はすごい
圧倒的な臨場感は死者の意識とも調和(生体恒常性)をはかれる
ああ~こういうことを知っていて良かった。
多分、脳の力とか知らない人だと、物語の展開に関し、幾つもの矛盾点、という形で映るのだと思う。
妄想を旧態依然とした捉え方をしてしまっては進歩がありません。まあ、アニメなんで極端といえば極端ですが、妄想には命を吹き込むことができ、望んだ現実を展開する可能性があります。妄想はストーカーの専売特許ではない…という自論は今の時代ではまだ早いかな。
映画の杏奈のように対話までしちゃうと、イメージ化能力に優れた超右脳型人間でないと無理だと思いますけど、普通の人でも妄想を時間差で具現化することはできます。それを「引き寄せの法則」とかって言いますよね。
圧倒的なリアリティによって現実が動く…風水も同じです。
身近な知人・友人でも、色んなエピソードがたくさんあって、話題に事欠かないという人が1人はいらっしゃると思います。
こんなことがあった、あんなことがあった。
びっくりするような展開で、嘘なんじゃないか?と思うこともあったり^^;
そういう人も居るでしょう。
でも、そうじゃない人も居る。
…この差ってなんなのだろうな。
以前私が感じていた疑問です。
私は良く言えば平穏、悪く言えば退屈な日常を送っているのに、なぜあの人は毎日色々なことが起きるのだろう?所詮嘘なんだろうか?
でも、時折証拠を見せつけられて落ち込みます。
なにが違うのだろうか?
…これはブロックとかプログラムと言われているもので、強固なマイナス感情の有無がその決定的差ではないかと思います。
自己実現の方法、未来のイメージをありありと思い描くとか、手に入れたいものの写真を貼っておくとかしても、過去のことをしょっちゅう思い出して「チクショー」とか「アノヤロー」とか思っているようだと多分ムリ。過去の私の姿ですが…。
風水対策によってマイナス感情を流しましょう。
そのためには換気・お掃除が基本です。
過去の感情(マイナスの妄想)が晴れると退屈な日常から脱皮することが出来ますよ。
話が脱線していますからこのあたりでやめておきましょう^^;
「思い出のマーニー」、面白かったです。